私たちが毎日当たり前のように使っているパソコンやスマートフォンのキーボード。そのアルファベットの配列が「QWERTY（クワーティ）」と呼ばれていることをご存知でしょうか。左上のキーから順にQ、W、E、R、T、Yと並んでいることから、そう呼ばれています。しかし、ふと疑問に思ったことはありませんか？「なぜアルファベット順（ABCDE…）ではないのだろう？」「もっと効率的に入力できる配列があるのではないか？」と。
実は、この一見すると非効率にも思えるQWERTY配列が、100年以上にわたってデファクトスタンダード（事実上の標準）であり続けているのには、非常に興味深い歴史的背景が隠されています。それは、必ずしも「最も優れたものが選ばれる」わけではない、技術の進化の面白い一面を物語っています。今回は、生成AIと共に、このQWERTY配列が定着した意外な歴史の謎を紐解いていきましょう。
タイプライターの誕生と悩みのタネ「タイプバーの衝突」
物語の始まりは、19世紀後半、タイプライターが発明された時代にまで遡ります。当時のタイプライターは、キーを押すと「タイプバー」と呼ばれるアームの先端についた活字が起き上がり、インクリボンを介して紙を叩くことで文字を印字する、という非常にメカニカルな仕組みでした。
この仕組みは画期的でしたが、大きな欠点を抱えていました。それは、タイピングのスピードが上がると、隣接するキーのタイプバー同士が絡み合い、動かなくなってしまう「キー・ジャム」という現象です。特に、英語で頻繁に使われる「t」と「h」や、「e」と「r」のような文字の組み合わせが近くにあると、このジャムは頻繁に発生し、その都度、手で絡まりを解かなければならず、作業効率を著しく低下させていました。
当時の技術者たちにとって、この物理的な問題をいかにして解決するかは、タイプライターを実用的な製品として普及させるための大きな課題だったのです。
QWERTY配列の登場 – 効率化ではなく「問題解決」のための発明
この悩ましいキー・ジャム問題を解決するために考案されたのが、クリストファー・レイサム・ショールズという発明家が生み出したQWERTY配列でした。
よく「QWERTY配列は、タイピストの打鍵速度をわざと落とすために作られた」という説が語られますが、これは半分正解で、半分は誤解を含んでいます。彼の真の目的は、タイピングの速度を落とすこと自体ではなく、あくまで「キー・ジャムを防ぐこと」にありました。
そのためのアプローチとして、彼は英語で連続して使われることの多いアルファベットの組み合わせ（例えば “th” や “st” など）を、物理的に遠い位置に配置する、という戦略を取りました。タイプバーがキーボード上で離れた位置にあれば、たとえ連続で素早く打たれても、アーム同士が衝突する確率を劇的に減らすことができるからです。
つまり、QWERTY配列は人間のタイピング効率を追求した結果ではなく、当時の機械が持つ物理的な制約を回避するために生まれた、「機械のための最適化」だったのです。人間の指の動きにとっては非効率でも、機械全体としてはスムーズに動作する。それがQWERTY配列の本来の姿でした。
なぜ現代まで残った？ 強力な「ロックイン効果」の謎
やがて技術は進歩し、電動タイプライターやワープロ、そしてパソコンの登場により、物理的なタイプバーは姿を消しました。キー・ジャムという問題は、もはや過去の遺物となったのです。それならば、もっと人間にとって効率的なキー配列（実際にDvorak配列など、より高速にタイピングできるとされる配列も考案されています）に置き換わってもよさそうですが、なぜ今もなおQWERTY配列が使われ続けているのでしょうか。
その答えは、「ロックイン効果」あるいは「経路依存性」と呼ばれる社会経済学的な現象にあります。
ショールズが開発したQWERTY配列のタイプライターは、レミントン社によって製品化され、商業的に大成功を収めました。これにより、QWERTY配列が市場の標準として広く認知されることになります。
すると、次のような強力なサイクルが生まれました。
- タイピストを養成する学校は、市場で主流のQWERTY配列でタイピングを教える。
- 企業は、QWERTY配列を習得したタイピストを雇い、QWERTY配列のタイプライターを導入する。
- タイプライターのメーカーは、最も需要のあるQWERTY配列の製品を大量生産する。
一度このエコシステムが確立されてしまうと、たとえ後から技術的に優れた新しい配列が登場しても、誰もがそれに乗り換えることは非常に困難になります。新しい配列を学習し直すコスト、企業が機材を入れ替えるコストなどを考えると、現状維持の方がはるかに合理的だからです。「みんなが使っているから、自分も使う」という慣性の力が、QWERTY配列を不動の地位に押し上げたのです。
まとめ：当たり前の裏側にある歴史と未来への視点
QWERTY配列が定着した歴史は、技術の世界において「最初に成功したものが、必ずしも最高のものではなくても、標準になり続ける」という興味深い事例を示しています。技術的な合理性だけでなく、市場のタイミングや社会的な慣習がいかに強く影響するかを物語っていると言えるでしょう。
現代では、スマートフォンのフリック入力や音声入力など、キーボードを介さない新しい入力方法も普及しつつあります。しかし、正確かつ高速な文章作成が求められる場面では、物理キーボードの優位性は今なお揺らいでいません。
私たちが何気なく指を滑らせているキーボードのその配列には、100年以上にわたる技術の制約、発明家の創意工夫、そして社会の大きな慣性が刻み込まれています。次にキーボードを叩くとき、その歴史の片鱗に少しだけ思いを馳せてみると、いつものデジタルライフが少し違って見えるかもしれません。
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