近年、AI(人工知能)技術は私たちの生活を豊かにする一方で、その進化は残念ながら詐欺の手口をも巧妙化させています。例えば、肉親の声をAIで完璧に再現して電話をかけてくる「次世代オレオレ詐欺」や、AIが生成した極めて自然な文章で偽サイトへ誘導するフィッシング詐欺など、これまでの常識では見抜けなかった手口が登場し始めています。このような状況下で、私たちの財産や個人情報を守るためには、現行の法律だけで十分なのでしょうか。本稿では、法律の専門家として、AIがもたらす新たな脅威に対し、どのような法的対策が考えられるのか、そして私たち個人がどう備えるべきかについて考察していきます。
進化するAI詐欺と現行法の限界
日本には、詐欺被害者を守るための法律がすでに存在します。代表的なものに、人を騙して財物をだまし取る行為を罰する「刑法上の詐欺罪」や、不当な勧誘による契約を取り消せる「消費者契約法」、特定の取引における事業者の義務を定めた「特定商取引法」などがあります。
しかし、これらの法律は、基本的に「人間が人間を騙す」という構図を前提としています。AIが詐欺の“道具”として高度に利用されるようになると、いくつかの課題が浮き彫りになります。
1. 実行犯の特定が困難になる
AIを利用した詐欺は、国境を越えて行われることが多く、匿名性の高いインターネット空間で完結します。AIプログラムを操る本当の犯人が海外にいる場合、日本の警察が捜査し、犯人を特定して逮捕することは極めて困難です。誰が詐欺を行ったのかが分からなければ、法律で裁くこと自体ができません。
2. 「騙す意図」の証明が難しい
法律で罪を問うには、犯人に「騙す意図(故意)」があったことを証明する必要があります。しかし、詐欺に使われたAIが、第三者によって開発・提供された汎用的なツールだった場合、その開発者にまで詐欺の意図があったと立証するのは簡単ではありません。「包丁を作った鍛冶屋は、その包丁が犯罪に使われても罪に問われない」という理屈と同じ壁にぶつかるのです。
3. 被害の拡大スピードが速い
AIは24時間365日、休むことなく大量のターゲットにアプローチできます。たった一つの詐欺プログラムが、一晩で何万人もの人々に詐欺メールを送りつけ、被害を爆発的に拡大させる可能性があります。被害が発覚したときには、すでにお金が海外の口座に移されているなど、被害回復が手遅れになるケースが増加すると考えられます。
AI時代に求められる新たな法的アプローチ
こうした課題に対応するためには、既存の法制度のアップデートや、新たな視点からの法整備が急務です。具体的には、以下のような対策が考えられます。
1. プラットフォーム事業者の責任強化
SNSやメッセージングアプリ、オンラインマーケットなど、詐欺の舞台となりやすいサービスを提供するプラットフォーム事業者に対し、より積極的な被害防止策を法的に義務付けるというアプローチです。例えば、「AIによって生成された可能性のあるコンテンツには警告を表示する義務」や、「本人確認が不十分なアカウントによる送金機能を制限する義務」などを課すことが考えられます。事業者に“場所”を提供している責任をより重く問い、詐欺の温床を作らせないようにする狙いです。
2. 特定AIの開発・提供者に対する規制
特に詐欺への悪用リスクが高いAI技術(例:特定の個人の音声や映像を生成するディープフェイク技術など)については、その開発や提供の段階で一定の規制を設けることも有効でしょう。利用目的の確認を義務付けたり、生成されたコンテンツに電子透かし(デジタルウォーターマーク)のような識別情報を埋め込むことを義務化したりすることで、悪用を抑制し、万が一悪用された際の追跡を容易にすることが期待できます。
3. 被害者救済制度の迅速化と拡充
犯人の特定が難しい以上、被害に遭ってしまった後の救済制度を強化することが現実的な対策となります。現在の「振り込め詐欺救済法」のように、金融機関が迅速に口座を凍結し、残っている資金を被害者に分配する仕組みを、暗号資産(仮想通貨)など新しい送金手段にも適用できるよう拡大していく必要があります。また、プラットフォーム事業者が拠出する基金から、一定額の被害を補償するような新たな制度の創設も議論すべきでしょう。
法律だけに頼らない!今すぐできる自己防衛策
法整備には時間がかかります。だからこそ、法律ができるのを待つだけでなく、私たち一人ひとりが自衛の意識を高めることが何よりも重要です。
まず、「AIかもしれない」と常に疑う癖をつけること。知らない相手からの美味しい話や、急な金銭の要求は、たとえ相手が家族や友人の声・文章であっても鵜呑みにしないようにしましょう。特に金銭が絡む話の場合は、「一度電話を切って、自分が知っている本来の電話番号にかけ直す」「家族や友人間であらかじめ『合言葉』を決めておく」といったアナログな確認方法が、かえって有効な防御策となります。
また、警察庁や消費者庁、自治体などが発信する最新の詐欺手口に関する情報を定期的にチェックし、デジタルリテラシーを高めておくことも大切です。新しい技術を正しく恐れ、賢く利用する姿勢が、これからの時代を安全に生き抜くための鍵となるでしょう。
まとめ:技術の進化と法の進化、両輪で進める安全対策
AIが関わる詐欺は、もはや他人事ではありません。この新たな脅威に対しては、技術の悪用を防ぐための法整備を急ぐと同時に、私たち市民一人ひとりが防衛意識をアップデートしていく必要があります。技術の進化のスピードに法が追いつくのは容易ではありませんが、社会全体で議論を深め、技術と法律、そして個人のリテラシーという三つの力を合わせて、安全なデジタル社会を築いていくことが求められています。




















